ブッダは
『行為は為されるが、
そこに行為者はいない。』
と言ったそうです。
我々が、全ての瞬間において、
『自分がした』
と思っていることは、
定められた条件とインプットによって、
行われていることである、と言います。
すると、人々は皆、一生に渡って長編映画を見ているようなもの。
そこに、個人の判断や行為はないというのです。
ただし、映画を見た上での『理解』だけが存在する。
それによって、悲劇でもホラーでも、楽しみ方が変わってくる。
そしてその『理解』がシステムに再度インプットされることにより、
近未来が少しずつ創られていくのかも知れません。
Taichi