『無為』を辞書で引いてみると
『自然のままで、作為的でないこと。』
と有ります。
反対に『作為』とは人の意思が介在すること。
『人間は考える葦である。』と言う言葉がありますが、
考えても考えなくても同じ方向に流れていくしかないなら、
余計なことは考えないで、無為でいた方が良いのかもしれません。
以前、マインドフルネスについて書いたことがありますが、
自らの言動や心の動きを意識的に観照して、
余計な思考や感情を削ぎ落としていく。
そうやって自我を落としていった無為の状態を、神道では、『神ながら(かんながら)』
と呼んで尊重しています。
無為中の無為で生まれてきた赤ちゃんが、
成長するにつれ、徐々に、自我で自分を縛っていき、
人生のピークまで、作為を重ねて走り続けていく。
そして、人生の後半には、逆に余計な自我をそぎ落としていき、
作為的に無為を目指して、
『神ながら』を実践していく。
このような文化を持った日本人が、
作為の塊のような西洋の戦略にいつもやられてしまうのは、
ある意味で仕方ないことなのかも知れません。
それでも、日本に生まれたことを、やはり、誇りに思っていますし、
短い人生でも、悠久の歴史に想いを寄せ、
形あるものの儚さを愛しながら、
無為に生きていくところに、
日本の美しさがあると思っています。
Taichi