海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

美辞麗句とキリストとブッダ

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悪魔は悪魔として現れるのではなく、必ず天使の顔をして現れると言います。

混乱の極みにある米国の争いの始まりも、

ポリティカルコレクトネスの権化のようなヒラリー・クリントンと、

その美辞麗句に飽き飽きした人々の鬱憤をさらったトランプの戦いでした。

今ではトランプをネット上で賛美する論調も数多く現れ、それと同時に選挙戦は口汚い罵り合いの最中にあります。


奇しくも、世界の経済と軍事を100年に渡って牛耳った米国大統領を決める選挙が、

ここまで醜態をさらし低レベルな争いに落ちると言うことは、

この100年の歴史が偽善と搾取による繁栄だったと言われても、仕方が無いのではないかと思ってしまいます。


話は変わりますが、人の人生に自由はあるのか、さらには人生の意味は何かという問いに対して、

哲学者や思想家がどれだけ美辞麗句を並べたところで、大切な人を失った瞬間の人には何も届かないし、

むしろ、人生に意味など無い、自由などもあるわけが無い、と言われた方が、

かえって心がホッと落ち着くと言うこともあるわけです。

生きる意味など何も無いんなら、何をしても良いのかと問われれば、

そこから考えること行うことが、あなたの本当の人生の始まりだよ、という面もあると思います。


神学論争をするつもりは有りませんが、諸行無常諸法無我を説く仏陀と、

隣人を愛せよと言うキリストを比べたら、やはり、キリスト教西洋文化も今のアメリカも、

美辞麗句から始まった故の、転落の最中に有るのではないかと思ってしまいます。


上から美辞麗句で人を啓蒙するか、人生は四苦八苦と、下から人々を鼓舞するかはさておき、

中庸とか中道とか何事もほどほどとか、そう言ったことが当たり前に共有されている日本文化は、

美辞麗句と罵倒の飛び交う彼の国と比べたら、相当ましなのではないかと思ってしまいます。


とは言え、何でも中庸とか中道とか、最初から決めて掛かっていくとしたらこれも問題で、

誰も尖った意見を言わない、大人すぎる会議を重ねているようでは日本もお終いです。

結局、ブッダでもキリストでもない我々は、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしながら、

それでも右往左往する自由を噛みしめて、落ち着くところを探していくしかなさそうです。




Taichi