今週のお題「急に寒いやん」
寒くなると気分が落ち込むこともあると思いますが、世の中には、絶対に鬱にならない方法があると言います。
それは、自分を認めることと、欲望をあきらめないこと、この二つを満たすことだと言います。
幼い頃は目の前の対象に次から次へと興味と欲求を抱き、
満たされなければ泣いたり笑ったりして、自然に時が経ちますが、
大人になると常識や他人の影響で、自分が何をしたいのか次第に曖昧になり、
無意識に欲求をあきらめ、次第に自分自身を受け容れられなくなって鬱になるというのです。
話は変わって、心理学や物理学の世界では、自分は何者なのか追求していくことを、「始まりの問い」と言います。
自分がどこから来てどこへ行くのかという問いの行き着く先は、詰まるところ宇宙の始まりまで遡り、
アインシュタインやホーキングは物理学でこの問いを追求し、
ユングやフロイトは心理学を使って、はたまたブッダやキリストは経典の中でこの問いに答えていきました。
そんなこと考えては生きていられない、と言う意見も引っくるめて、
結局人生は、始まりの問いによって支配され翻弄されています。
なぜなら、一度、始まりの問いに正解が与えられたら、
人の全ての悩みも争いも、消えてなくなる可能性が高いからです。
仮にこの世界が明確なルールに基づいて行われているバーチャルなゲームだとしたら、
誰が本気で悩み苦しむでしょうか?
つまり、どんな存在もそれぞれのレベルで、始まりの問いに対する答えを求め、
それは取りも直さず、それぞれの生きる世界の中で、存在意義を求める戦いでもあると言うことです。
翻って、自分を認めること、そして、欲望をあきらめないことは、
全てが変化していくこの世の中で、自分の居場所と歩むべき方向性を得ることです。
つまり、存在意義を得ること、そのものです。
だから、人生において変わらぬ存在意義を得られれば、鬱にならないのは当然ですし、
鬱になったら、存在意義を問い直す、生き方を変える必要があると言うことになります。
前回、日本の大企業が変われない理由として、存在意義を問い直せていないからだと書きましたが、
人も、法律に基づく人たる法人も、結局、絶えず変化するこの世の中で、
存在意義を問い直して再生していくことが、変化を乗り切る第一歩です。
そういう意味では現在の日本企業の多くは、個人と同じく新型うつの症状を呈しているものの、
対症療法として薬(金のばらまき)に頼るばかりで自ら変わることの出来ない、
悪循環に陥っているように感じています。
Taichi