海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

学ぶこと。

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コロナ関連でも、専門家がテレビに出て様々な話をしていますが、

「専門バカ」には気をつけなければいけない、と言うのは昔から言われてきた事です。

現代の専門家は文字どおり、何か一つの分野に長けている人ですが、

それぞれの分野が「たこつぼ化」しすぎて、専門家自体が役に立たなくなることが多くなっています。


例えば、最近のテレビでは、免疫学の専門家がウイルスの変異について説明し、

タレントやお笑いの人が感想を話して、司会がまとめるというワンパターンばかり。


仮にこれが古代ローマやインドであったなら、希有な哲学者や僧侶が出てきて、

一つの真理を説けば皆が納得していたのではないかとさえ思うのです。


そもそも古代ローマではリベラルアーツ(文法、修辞学、論理学、算数、幾何、天文、音楽の7つ)を修めることが肝要とされ、

その語源は文字どおり、「自由の技術」から来ていると言います。

一方で、専門技術は労働や生産に必要なもののみを指し、これらは奴隷の技術とされていたのです。

また、「大学」の語源が、インド(仏教)において真理を追求する都市の中心部であったことは有名ですが、

学問とは詰まるところ、ただ一つの同じ目的に向かう全ての努力の結晶でした。 

何故現代では、自由のために勉強するのだ、とか、

何故自分が存在するか知りたいから勉強するのだ、とか、 

一番大切な目的が共有されなくなったのか不思議に思います。

私自身も、小学校から大学までの間で、そのような究極の目的に結び付けて学問を教えてくれた先生には、

残念ながら出会えませんでした。


もし、教育界や学会や社会の全ての場面でこの目的が共有されれば、

既存の学問のあり方に興味を示さない多くの才能が花開く事になるのではないか、とさえ思ってしまいます。



学ぶことは楽しいこと、

そして自由になること。




Taichi