海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

脱洗脳社会

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洗脳とマインドコントロールの違いは、

洗脳が暴力的な手段を使うのに対して、

マインドコントロールは、相手に気付かれないように、暴力的な手段を使わずに、

相手の思想や行動を変容させることだそうです。


1970年代から続いたサラリーマン神話が、バブル崩壊とともに崩れるのと同時に、

日本株式会社の洗脳も終わって良いはずでした。

ところが、サラリーマンこそ安心だ、という神話以上に説得力のある物語が力を持つには、

スマホ一台で、金融を含むあらゆる手続きやコンテンツやコミュニケーションが可能となるほどの技術革新が、

皆の心を後押しする必要があったのだと思います。


平成の30年でその実感は行き渡り、コロナ騒動でダメ押しされましたが、

コロナ後に旧来のスタンスで何かに依存して安心を求め続ける人は、

ますます窮屈に、生きづらくなってしまうかも知れません。


人間は本当に洗脳やマインドコントロールを受けやすい生き物です。

心理学の世界で、ナラティブセラピーというものがありますが、

人は過去の出来事の一つ一つに対する意味づけを変化させ、自分の人生の物語を作り直すだけで、別人のように変わってしまうものです。

人が『記憶の動物』と言われる所以です。


多くの人が、自分自身の人生を生きているつもりでも、時代の転換期には、

社会の価値観や常識に振り回されて生きていたことを実感します。

心というスマホに、簡単にアプリをインストールして、

自ら進んでマインドコントロールを重ねていくのは、勿体ないことです。

余計なアプリを入れないように、マインドフルに、かつ、体験することを一番にして、

自分と自分の人生を創っていくしかありません。


避けられない宿命がスマホのOSだとすると、アプリは自分の力で選択できる運命のようなものかと思います。

あなたが、IOSだろうとAndroidだろうと、アプリは自分で選んでダウンロード出来るものです。

スマホやロボットは、自発的に自分の物語を創れません。

来たる超管理社会においても、

むしろ、超管理社会だからこそ、

自分の言葉で語られる物語だけが、個人の人生をより良くしてくれるものかと思います。






Taichi