海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

心の中の自然

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普段、人がどのような意識で生活しているか、比べる術は多くありません。

心象風景のような心の様相を、自分以外の人に正確に伝えるのは、なかなか、難しいものです。

それでも同じ文化や言語や宗教に属する人達が、それ以外の人々と比べて似通った意識になっていくということはあると思われます。

例えば同じ一つの信仰を持っている人達が、日々のあらゆる生活の局面で信仰上の「神」をイメージして救いや癒しを求めていたとすると、

そのことが具体的に多くの人の想念として共有されて一つの力を持ってしまう、ということはあり得るのだと思います。

想念が力を持つ、というのは少しオカルト的な言い方ですが、人の想像力は今あるすべての文化を形作ってきたわけですから、

頭の中のイメージがやがて現実の文化や街並みに反映されるのと全く同じように、同じイメージを繰り返し持つこと自体が人の行動パターンや発想を変化させて、

結果として似通った現象が実を結んでいくと考えるとわかりやすいと思います。

 

話は飛びますが、仏陀が死ぬときに「自灯明、法灯明」と言い残したと言われています。

仏陀でさえも死ぬ間際に、『(私でなくて)自分自身を拠り所にしなさい。』『(自然の)法則を拠り所にしなさい。』と言い残したのですから、

ネットやテレビや週刊文春や他人が、あれやこれやと人を批評したり様々な情報を垂れ流したりする現在においては、

ますます自分を信じる力が試されるものと思います。

自分を信じるのはたやすいことでは有りませんが、案外、自然の流れに身を任せることで、人は冷静になれたり、ひらめきを得たりするものだと思います。

いろいろな解釈が有ると思いますが、仏陀が「自灯明」と「法灯明」をセットにして遺したことは、

個人の身体と自然の法則の関係を特に重視したからではないかと思っています。

 

 

 

Taichi