現在においてもまだ、マスメディアと言うと、テレビがその筆頭かも知れません。
しかしテレビもラジオも、日本における放送開始からまだ、100年を迎えていません。
それでも多くの人は、太古の昔からそれが人間の情報源であったかのように、
テレビに流れるニュースを一方的に受け入れ、それを前提として日々の生活を営んでいます。
特にテレビの映像は、多くの人に取っていとも簡単に事実と捉えられる不思議があります。
映画の映像は「創られたもの」として余興に利用されるのに、テレビの映像については、
それらしい姿・形・動きが映っていて、それなりのナレーションが付いていれば、何のためらいもなく真実と受け止められたりします。
人は視覚から入ってきた情報に信頼性を置きすぎる動物です。
その事は既に、テレビ放送が世界中に流されるようになったのとほぼ時を同じくして、
研究されつくし実証実験を終えて、その危険性についても繰り返し唱えられてきたところです。
つまり、人間の脳は本来的に、視覚情報と現実の区別がつかないものであり、
その事を利用して案外簡単に洗脳されてしまう生き物なのです。
コロナで現実の触れ合いが減少し、毎日、ウクライナの悲惨な映像を見せられれば、心が病むのは当然のこと。
2021年において、コロナの公式死亡者数では全く説明の付かない規模の超過死亡が日本において発生しています。
一番大事な事実があまり報道されず、既にマスコミの興味はウクライナの次に向かっている節がありますが、
今後もこの傾向はおそらく続いてゆき、数年先に大問題になると思われます。
テレビもラジオもインターネットのニュースも、人の生活に不可欠のものではありません。
日経新聞も経済を全く説明できていないのに、社会人の必須条件とされてしまう滑稽さがこの国にはあります。
それでも世界中、滑稽でない情報システムが存在するかというと、有ると断言できる人もいないと思われます。
折しも日本のテレビでは、ウクライナ報道の矛先が変化してきています。
大手メディアが一斉に、ロシアを追い詰めたアメリカ、特にバイデン大統領を筆頭とする民主党議員たちが、
幾つかのウクライナ企業を通じて私的な利益を得ていたこと、また、現在も得ていることを報道し始めています。
短期の視点が右や左に触れようと、その時点の正義と悪が入れ替わろうと、
そのこと自体にあまり意味はありません。
全体として世界がどこへ向かっているのか、ニュースからはせいぜいその点だけを、
楽観的に拾い集めれば良いと思われます。
コロナから戦争を経て個人が一番に気付くべき視点は、
人の手を経由した全ての情報を単に「それだけのもの」として扱い、
自然や優れた芸術や身近な人々や自分自身の中にある、当たり前の感覚や美しさを中心に据えて生きていくことかも知れません。
Taichi