北京オリンピックの開会式は、分かりやすいメッセージを基本に据え、壮大で美しく、かつ先進的な仕掛けをふんだんに使い、
明らかに、東京オリンピックの数段上を行く出来の良さでした。
日本人としては、日本の力のなさを見せ付けられたような、さみしい気持ちもしながら、テレビを観ていました。
少し深読みすると、コロナ対応に引き続き、混乱の世界で統率の取れた力を発揮出来るのは、
民主主義でなく管理主義であると示されたような一大イベント。
今後の地政学的なリスクを考えると、中国からの有形無形のプレッシャーにも耐え、
アメリカ絡みの長年の利権集団からのプレッシャーにも耐え、
国を滅ぼさずに、全体管理主義に抵抗していくことは、神業に近い政治力を必用とするのではないか、
そんな空想をしてしまいます。
空想と言えば、世界政治には当然裏があり、裏の力は数千年も前から意外にも変わらぬ方法論を必用としている面があります。
天皇家の政治争いに敗れた貴族が、寺社や加持祈祷の類に下っていったのも、
日本の政(まつりごと)が長い間、陰陽道や修験道のような独自に発達した呪術的な力に頼ってきたことと関係します。
中国の道教、ヨーロッパの白(黒)魔術など、都市伝説的に語られる怪しげなシステムも、
実は、気象を把握したり、未来を予測する力を持つものとして、権力の後ろ盾として重用され維持されてきた面があります。
かくなる上は、平安以来の呪術大国としての日本の力を信じて、これからの乱世を神業のように渡って行ってもらうしかないのではないか、
そんな空想をしてしまうほど、日本の政権の頼りなさを毎度毎度、痛感してしまいます。
Taichi