海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

慣れることと飽きること

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人はどんなに辛いことや苦しいことがあっても、何とか踏ん張っていれば、いつの間にかその状況に慣れて行くもので、

逆に、楽しいことやありがたいと思うことがあっても、気が付くと、それが日常になって飽きを感じてくるものです。

コロナ対応も既に1年を超え、マスクやソーシャルディスタンスにも慣れて、

他人と接触を持たないまま日常を過ごしていくスタイルにも馴染んでいる人も多いかも知れません。

一方で、そんな閉じた人間関係や狭い行動範囲に飽き飽きしてしまって、

逆にコロナに対する恐怖感にも慣れてしまって、政府が何を言おうとも、

隙あらば飲み会をして時には路上で宴会を開催して、コロナは只の風邪だと信じて疑わない人も少なからず居るようです。

どんな生物も環境の変化には自らが合わせていかなければ種として絶滅してしまいますから、

「慣れること」は生命の存続のために与えられた機能と言えますし、

また、全ての個体が同じことを繰り返していては、これまた、種として進化することも出来ませんから、

「飽きること」も同じく種の保存のための大事な機能と言えるかも知れません。

結局大きな目で観ていくと、今のルールを守る人も守らない人も、

それぞれが種の保存と発展のために個性を発揮しているのだと捉えれば、

お互いが争うこともなく罵り合うこともなく、少なくとも人同士が自滅の道を歩むことはないように思います。

要はどんな事態に対しても、心を閉じていく方向でなく、受け入れる方向で生きていくことが、

最善なのかも知れません。




Taichi