海亀のつぶやき

ロスジェネ世代の言葉とチャレンジ

存在の戦い

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心の中に、漠然とした居心地の悪さを感じている人が増えているように思います。

長引くコロナの自粛生活、テレビなどの旧来メディアとネット情報のギャップ、

若い人はワクチンを打つべきか、また、小学生の子供には打たせてよいのか、、、など、

差し迫る現実的な選択に迷う人も多いようです。

結論から言えば、これからの時代は、多少の軋轢を経験したとしても、自分を貫く勇気が必要に思います。


これまで、少なくとも数十年間、もう少し大きな枠組みで言うと、明治維新以来、

人は皆どちらかというと、大きなものや組織やシステムに合わせる方向で生きてきました。

その大きな流れの崩壊の始まりとして、決定的な象徴が、311の地震津波による原発の崩壊。

あれから、早いもので10年が経ちましたが、いよいよ時代は、個人個人に対して、意識の選択を迫っていると感じます。


少し話は変わりますが、いつの時代も、幼い子供を見ていると、その個性の多様さに驚かされます。

何か起きたときの反応は、本当に千差万別。

ところが人は成長するにしたがい、学校や会社など、何らかの組織に吸収され、

望む望まないに限らず、巨大な効率とエネルギーを基本とする経済システムに組み込まれてきました。

そして、その巨大なシステムの中で、真面目に義務感を持って頑張る人ほど、自分本来の個性を失ってきました。

しかし当たり前のことですが、個人個人がたとえ生活のために組織や社会の義務にしたがっていたとしても、

最も大切な個人個人の存在レベルにおいては、自由が守られなくては生きていけません。

自由主義も民主主義も落ちぶれたこの時代に、世間はますます全体主義、管理主義に進んでいます。

物理的にどれだけ豊かになろうと、また、ベーシックインカムで最低限の生活が保障されようと、

存在としての自由を確立しない限り、ますます、自殺は増えていくでしょう。
 
そういう意味で、人類は、これから物理的な戦争と言うよりむしろ、 

個人個人が真の心の自由を獲得するための戦いの局面を迎えると思います。

あなたはあなたであること、それ以外に何の義務もありません。

でも、自由であることは逆に、個人個人に判断と規律を求めます。

どんな現実に縛られていても、心を自由に保つ技術が、益々、大切になっていきます。

迷ったら、まずは、心に安心と自由を感じられる選択をすること。

それは決して辛いハードなものではなく、むしろ誰も殺さない、自分の中のどんな細胞も無駄にしない、静かな戦いです。




Taichi