普段の生活や仕事をしながら、じっくり人を観察していると、自らの思考に囚われている人をよく見かけます。
人は忙しかったり、何かに真剣に取り組んでいたり、問題を抱えていたりすると、
知らず知らずのうちに、心が自動的におしゃべりを始めるようです。
余裕のあるとき、冷静なとき、コンディションのいいとき、
思考は心のメモリーに停滞することなく、どんどん掃けて行きます。
でも、メモリーの処理能力の限界に近づいたり、意識が集中し過ぎてCPUが加熱を起こしたり、
その時点の実装では演算しきれない問題をインプットされたりすると、
人の心のプログラムも誤作動を起こして、様々なつぶやきを勝手に始め、そのこと自体に本人の意識も及ばなくなるようです。
人間の心と精神の構造も、我々が考えているより、機械に近い部分があります。
私はそれを、心の自動装置、と呼んでいるのですが、
特に心がマイナス面に振れていくとき、その構造は顕在化し、そして加速度的にバグを連発し始めます。
でも、人の心の構造が本当に凄いのは、何層にもメタ認知が出来ることです。
極めて機械的な負の一面を持っていながら、それを俯瞰して把握する能力もあると言うこと。
つまり、フリーズしたパソコンを上から見下ろし、CPUを停止し、メモリを一旦空にして、
自らを回復させる能力があるのです。
この機能を世間では今、マインドフルネスと呼んでいるようです。
忙しいとき、辛いとき、心が折れそうなとき、ふと立ち止まって、心の自動装置に気付くこと。
人の意識は、その対象に気付くことで、心を沈黙させていきます。
そして心が沈黙と静寂を達成したとき、
人は、それまで漏電していたエネルギーを取り戻し、解に向かって確実に歩みを始めます。
Taichi